庭の観察記録
身近な自然の観察記。すぐそこにある自然を通じて、生物の多様性と神秘を味わい、クォークから宇宙まで想いを馳せる。
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朝、新聞は軽く目を通したのだが、なぜか天気予報は見なかった。なぜかというより、そもそもあまり天気予報は見ない人なのだ、私は。どうせたいして当たらないと思っているから。それは、以前から何度か書いているように、予報している人を信じていないからとか批判したいからではなく、天気はカオスであり、予報には限界があることを知っているから。

ついでにいうと、だからこそ、カマキリが翌年の積雪量を予知できるという話を聞いたときは、瞬間的に誤りと判断した。そんなこと、できるわけがない。別にカマキリをバカにしているわけではない。むしろカマキリは、私が子供のころに最も親しんだ昆虫だ。本当なら、とてもわくわくする話だ。

しかし、天気の正確な長期予報は、原理的に実質的には不可能だ。日食や月食を正確に言い当てるのとはわけが違うのである。もっとも、その日食と月食も、もしもこの世の天体が、太陽と地球と月の3つだけだとしても、長期的(ヒトの一生よりはずっと長い期間)にはぴたりと当てるのが、原理的に実質的には不可能になる。それは、これが3体問題だから。ほんのわずかの初期値の違いで、最終的には、まったく違う結果になってしまうから。たった3つでこれである。これが天気ともなれば、3つどころではない。1分後の自分のまわり半径1メートルのあらゆる点の風向きを当てることができるるヒトはいないでしょう。それとはスケールが違うけど、天気予報とは、それほど無謀なことをやっていると、私は思っている。だからこそ、天気予報は外れて当たり前。むしろ、当たったときのほうが驚嘆に値する。

さて、15時20分頃に本社で会議が終わったとき、外は雨。空を見て、寒さを肌で感じて、これで雲が厚ければ雪が降るだろうなあと思ったのは、今朝だったか昨日だったかどうも思い出せない。いずれにせよ、なんとなく、雨が降るとは思っていなかった。確かに、朝から曇っていたことは覚えているが。

電車に乗って、自分の部署に戻る途中、雪になっていることに気づいた。「あ、雪だ」と思わず、声を漏らした。しかも、積もっている。そこらへんでは、もしかして初めから雪だったのか。二駅となりの自分が降りる駅でもやはりそうだった。走っている車の屋根にも積もっている。そんなに降ってたのか。40分くらい前に雨だったのが信じられない。地域的なものなのか、本社付近でも雪になっているのか、とても気になった。休みだが出社していた部下が言うには「私が家を出てきたころは、吹雪いてましたよ」「何時に来たの?」「2時半頃」だそうである。ちなみに、彼の家は、夜、何度か狸を引きそうになったことのある「山」の中である。

帰るころには、雨に変わっていた。雪が中途半端に溶けてたいへんよろしくない。これで、明日の朝には完全に雪が溶けるのならばよいが、とけきれずに凍ると最悪である。この前の日曜日にB公園で見たヒキガエルのおたまじゃくしたちは大丈夫なのだろうかと『金沢城のヒキガエル』を毎日通勤電車の中で読んでいる私は、心配で心配でたまらないのであった。今日の夕刊の天気予報を見ると、木曜日は晴れるようなので、午前中に見に行ってみようかと今は思っている。ちなみに、朝刊の天気予報を見たら、今日は曇りのち雨になっていた。雪が降ったから、天気予報、ハズレ。ここのところ、ハズレのほうが多いじゃん。2連勝のあと3連敗かな。甘く採点して、2勝1敗2引き分けってとこか。

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